あーとらいふベイビー

子育てに苦労しながら、絵描き人生全うしよう!

幸せになるためにやるべきこと

皆さん占いは好きですか?私は良いこと言われたときは信じます!笑



実は運がいいとか悪いとかってないんですよね。
同じだけ用意されている運を、どのくらい使い、どの程度ためているかなんです。
運をためるというのは、『使わないこと』ではなく、『良いことをする』ことです。


例えばゴミを見つけたら拾って捨てるとか、笑顔で挨拶するとか、いわゆる『徳を積む』というやつです。



私は正直ここら辺↑の事って全然できていなくて、夫が駐車場とかでゴミがあると必ず拾う人でした。
始めは、えっ!?誰のゴミかわからんのに拾うの??汚くない??と思ってたんですが、『徳を積む』話を本で読んでから私もそういう事ができるようになりたいなぁとうっすら思っていました。



いつか家族で初詣に行った時、いつものように夫は歩きながら見つけたゴミを拾っていました。



皆さん初詣行くときって、「今年もいい年でありますように」とか「みんな元気で過ごしています。ありがとうございます」とか言って手を合わせていると思うのですが、その帰り道、なんとゴミの多いことか!!!ご存じでしたか??



夫と「何でこんなにゴミが落ちてるんだろうね……」と悲しくなってしまいました。
その時から、夫の手が空いていないとき、私も少し拾うようになりました。



感謝してお祈りして、なぜゴミを落としていけるのか、無礼もの!!と、怒られそうですよね( ´_ゝ`)
そりゃぁ徳も積めませんわ。。。




そして、いつも何かに腹を立てていたり、あの人はなぜこんな事を言うのだろう、とかあの人のせいで!とか、いつも不機嫌でいると視野が狭くなり、やって来た幸運にも気づかずはねのけてしまいます。



↑これまじうちの母親みたいな口癖です。
皆さんの周りにも居ませんか??




だいたい会えば職場の人間関係のいざこざに頭がいっぱいになっている。、(というか、私から見れば体まで乗っ取られているように見えます。何か体全体からそういう気って漂っていますよね。。←ごめん母 笑)



でもそういう人って自分から望んでそういう環境に身を置いてるとしか思えないんですよね。




きっとそういう環境に慣れすぎてしまって、心地よくなってるんです。




母が幸せになりたいと思っているかは知りませんが笑
幸せになりたい!と思っているのであれば、どうすればいいのか。






それは『自分の機嫌をよくすること』です!






イライラしていると本当に視野が狭くなり頭も体もガチガチです。こんな状態では何も入ってきません。


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自分を解放させて心と体を広くゆるーくしてみましょう。


私は考えすぎたり、意固地になってるとき顔や体が固まってるのが分かります。そんな時簡単に緩ませる方法として窓の外を見るようにしています。



視界が変わり、陽の光や自然を見るだけで目の奥が開くような感じがしてアイデアややりたいことが浮かんできます。



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そして、自分が嫌だなと感じた周りの声や視線はゴミです。(だって要らないですよね?)
自分の中にゴミをためて握りしめていては、たとえどんなに素敵な場所に行っても結局は身動きがとれなくなってしまう。




どんなに職場を変えても、ゴミを抱えて移動していては意味がありません。
ゴミはたまる一方です。





自分の中にある問題をすぐに解決できないと思ったら1度諦めてみる。または、本当にその問題は私に必要な問題か?
頭の中に留めておく必要があるか?と客観的に考えてみます。




どうしても頭から離れないときは、私は他に打ち込めることを探してとにかく吹っ切るようにしています。



そうすると、あ、あれが必要だった!とかあれを見たかったんだ!今行こう!と足取りが軽くなり、素敵なものとの出会いがありワクワクした時間を過ごせるようになります。




きっと、それは1回で済まされることじゃなく、不思議なもので、また何回も何回も同じような事が起こります。



その度に、ゴミを手放す練習をしてみましょう!そうすれば、その思考が習慣化し行動が変わってきます。



そうすれば、幸運に気づきやすい上機嫌な自分になることができるのです☆




あなたは、自分に不必要なものを周りから受け取って大事に抱え込んでいませんか?

ゴミだと思って、今すぐ手放す練習をしてみましょう!




それでは、今日も共に頑張っていきましょう~☆(*^^*)

個展をして気づいたこと

それは、意外と自分が思っているものではない作品に反響があるということです。


今回は14点の作品を展示させてもらいました。



場所も小さいスペースですので、小さいものをたくさん用意した方が場所にも合うし、今の私の現状で、子どもが寝ている間に描ける無理のない大きさだと思いました。




子どもが生まれてなかなか作品をつくることが出来なくなっていたけど、今年になってやっと出来る時期に入ったようなそんな気分になりました。



やっぱり時期、タイミングってあるんだと思います。





がむしゃらにやらなきゃ!と思ってもやる気が出ない。描いても描いた気がしない。そんな時は描かない方がいい!と私は思います。



「デッサンの練習で子供の寝顔とか描いてたよ~。毎日手を動かさなきゃ」と、言われることもあったけど、下手になると自分にプレッシャーを与えることもあったけど、やっぱり描けないときは描けない。



絵の具も鉛筆も紙も無駄にしてしまうくらいなら、別の事に目を向けて、今はインプットする時期なんだと思った方がよっぽどいい勉強になる。



そしてやる気が再発してきた今年、近くの図書館で個展をすることにしました。(*^^*)



私には出来る、という自信もあったし、目標にして自分を律する材料に出来る自信もあった。



ちゃんと個展をしたのは初めてだったのかな。



入り口には、通常芳名帳を置くけど、夫に「なぜ住所や名前がいるの?なんに使うの?」と言われ、そうだよねぇ、この惰性で続けていた習慣、いらないよなー
感謝状を送るわけでもないし、ただ個人情報丸出しにするだけ。



「住所より感想がほしいんじゃないの?」と言われ、「それ!!」とノートとペンを置き、『今後の参考にさせていただきたいので良ければ感想をお書き頂けると嬉しいです。』と記し、入り口の台に置いて帰りました。



そして個展が終わる頃には、15人くらいの方が書いてくださっていました。


小さい町の図書館の、端っこにあるギャラリーにこれだけ見に来ていただいて本当に有り難いことです!


「臭いや温度が伝わって来ました」
「色使いが素敵です」
「癒されました」



など、本当に嬉しいお言葉をたくさん頂きました。




特に私が感動したのが



「胸が熱くなり目が離せませんでした」



という言葉です。



もうこれは、絵描きの本望ですよね!!Σ(;Д;)
これを見たときは、まじ泣きそうになりました!



大学の卒業制作で展示していた作品を見たマダムが、
「あ!あなたの作品ですか!!いや、ずっと何を描けばいいのか悩んでいたんですが、自分の感じたままを表現すればいいんだと気づかせてもらいました!来て良かったです!ありがとうございます‼」
と言っていただいたことがあって、今でもその言葉が私のなかで1番の言葉だと思い私の中に残っていましたが、また私の中に一生残るであろう言葉を頂きました!(>_<)



そして、やっぱり自分が思っていたのと、違う方向からの感想が多々あって、私が好きだなと思っていた作品には1ミリも触れられておりませんでした笑。


こういうのって、やっぱり展示して見に来ていただかないとあり得ない感覚だなと感じます。



今ではSNSで作品を発表できるし、一気に拡散できるけど、やっぱり目の前でみて、会場の雰囲気のなかに入り込んで、絵の前に立つという時間を大事に提供していきたいと思うのでした(*^^*)☆


今日も共に頑張っていきましょう~!☆

育児に疲れたら読む本

【育児に疲れたら読む本】

育児、生活、毎日ストレスたまりますよね…( ´_ゝ`)

そんな中、私が子育てストレス感じたときに読む本。
それは…

致知(ちち) 別冊
~母 子育てのための人間学~】

夫が買ってきたやつ?持ってたやつ?なんだけど、色んな「お母さん」の話が載ってます。今回のは雑誌ですね。



サッカー日本女子代表の澤さんの話や、バレーボール全日本女子代表の荒木さんの話など。



中には励まされる言葉がたくさんあって、パラパラとめくるだけでもハッとする言葉を見つけることができます。


例えば
「母性は本能として備わっているわけではなくて、育つもの」


「自分の時間を犠牲にしないと子育てはできません。」

↑やっぱそうなんだよね~~(´`)
自分の時間を持てないのが当たり前なんだと、良い諦めが出来た。なんだか心がスッと軽くなります。



その中で私が毎回泣いてしまって、今を大事にしよう、私が母親になったのは奇跡なんだと思い直すことが出来るお話があります。




ある死産をされたお母さんのお話です。




『出産予定日の前日に胎動がないというので来院されました。
急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。


胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。


(中略)
赤ちゃんが元気に生まれたときの分娩室は賑やかですが、死産の時は本当に静かです。しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。


そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後、「一晩抱っこしていいですか」と言いました。(中略)


その日の夜、看護師が様子を見に行くと、お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、子どもを抱いていました。「大丈夫ですか」と声をかけると、「いまね、この子におっぱいをあげていたんですよ」と答えました。よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指ですくって、赤ちゃんの口元まで運んでいたんです。


死産であっても、胎盤が外れた瞬間にホルモンの働きでお乳が出始めます。(中略)そのお母さんも赤ちゃんを抱いていたらじわっとお乳が滲んできたので、それを飲ませようとしていたのです。飲ませてあげたかったのでしょうね。』



この話を読むと、今おっぱいをあげて抱っこしている、この膝の上に腕の中にいる子がどれだけ尊いかを考えさせられて、今ぐっすり寝ている子どもを思いながら、抱っこしている姿を想像するだけで涙が出てきます。



それでも、イライラしたりあーもう!!ってなったりしますが、子どもを授かった奇跡を忘れないようにしたい、と思い直させてくれるお話です。



また、娘、母、父のトリプル介護をされた方のお話や、世界的ピアニスト辻井伸行さんのお母様のお話など、自分にはきっと出来ないわーー!!世の中すごい母がいるもんだ!と思うことや、そっかぁ私もそんな風に考えてみようかな、と思わせてくれるものなど発見や気づきがたくさんある雑誌です。


育児に煮詰まったり、もんもんとして視野が狭くなったりしたら、たまに取り出して目を通したくなる私のオススメ育児本でした☆


気になる方は是非調べてみてくださいね(*^^*)


それでは、今日も共に頑張っていきましょう~!☆

絵を描き続けるために必要なこと

描き続けるための要素って、色々あると思うけど、ひとつは「自分のスタイルが変わることを恐れないこと」。





世の中には色んな人がいて、色んな表現があるけど、それぞれって個々が考えたり学んだり感じたりしたことが現れてるんだよね。





私は昔から好きな画家がいる。
ターナーピカソマグリットワイエスなど。




ターナーの作品ってすごく勢いのある、風をそのまま表したような、印象的な作品が有名だけど、初めからそうではなかった。



目の前の風景を細かく再現して、どこの場所か特定できるような具象的な作品を描いていた。



だけど、色んな作品を見たり、色んなところを旅行したりして、自分が感動するまたは衝撃を受けたりすることで、何を表現するのか、どんな色使いをするか、どんな描き方をするのかって変わってくるんだよね。



私は昔、自分のスタイルっていうものを確立しなきゃいけない!と常々思っていて、「私ってこういう作品をつくる人」っていうのを早く決めたいと思っていた。(なんでたろう。不安だったのかな?それとも固定概念かな。)



誰かみても、「これは、チコ星人の作品だよね」っていうのをすごい求めてて、おかげで自分で自分の首をしめてたんだよね;;




もっと感じたことを自由に表現すれば良かったのに。。。






例えば、絵を描く人だから、イラストチックなのは描いてはいけない、とか、ダンスで表現してはいけないとか、彫刻じゃなく平面で勝負するんだ!とか




今思えば、もっと自由に色んな表現方法を学べば良かったと思う。



感動したことを文書にしたり、音楽にしたり、映像にしたり、写真にしたり、コラージュしたり。




なんで貪欲に「表現」というものを深めてこなかったんだろう。




これって、前回書いた【眠っている才能を伸ばす方法】にもつながると思うんだけど、やっぱり「私はこれは苦手な分野だ」とか「やっても失敗するから、。」って思って、それ以上広げようとしないんだよね。



思い込みって本当に虚しい。。(; ´△`)




私は子どもが生まれて、子供の絵を描くような人にはなりたくないと思ってたけど、今まで使ったことのない色を全面的に使ってド派手にしたり、背景の処理を超フラットにしたりして、子供の絵を描いてみた。そしたら描く楽しさを思い出した。



今まで見なかったような画家の作品をみて、良いと思ったところは、自分を素直に受け止めてあげて、作品にも繁栄させたいと思ってる。




自分の感じたことを素直に受け入れて、色んな表現に分散させることで、自分の中を昇華できるし、新しい自分も見えて、色んな表現に繋がるんだ!




あなたも作品が変わっていくことを楽しんで、表現し続けてみよう!
きっと新しい自分が見えてくる☆

眠っている才能を使えるようになるために必要なこと

私には3才と0才の子どもがいます。


誰もが子どもの得意なこととか、持ってる才能を伸ばしてあげたいと思っていると思うけど、




親としてどんな声かけをしてあげればいいのか
って、すごく難しいし悩んでしまう。





またやっちゃったなぁと思うことも多々あります。。てか、頭では分かってても、どうしても感情的に言ってしまう私。




でも最近気づいた。子どもを出来るだけ傷つけずに、感情的に怒らずに接するためには



「才能や能力は生まれつき持っているものだと思うより、
才能や能力って努力次第でどうにでもなるんだ」
と思って接することが大事だということ。





この子には、絵を描く才能があるんだわ!!とか、音楽の才能があるのかも……って、思うのは全然良いと思うし、そういうの見つけるのって楽しいし、すぐ見つかったりする。



だけど、ちょっとうまくいかないと、あーもうなんで出来ないの??!この人一生出来ないんじゃない??才能、能力ない!!
しかも、先が見えないからいつ出来るのかわからない!いつ??!待てない!!Σ( Д )


ってなっちゃう。。



うちの子は、3才だけどまだおむつが取れない。



しゃべったり、説明したり、絵本読んだり、数字を数えたりするのって、すごく好きでどんどんやっちゃうけど、


どうしてもパンツにう○ちしてしまう。





私はう○ち処理が本当に苦痛で、おぇえっ!!となりながら、パンツ洗ったりしてたから、どうしてもすごーーーい嫌な顔で「もう、出るなら出るって言ってよ!!」
って言ってしまう。



それで怒られて、今度はう○ちしたパンツのままおしっこが流れてきた。





頭では強くいっちゃダメだと分かっていても、どうしても言わずにはいられなかった。


本当に悪循環、。



「ちゃんとトイレで出来るようになるまで、パンツ禁止!!あなたはずっとオムツでいなさい!!」
「パンツはもういらないんじゃない?どうせトイレって言えないんだから!!」

と、本当ストレスMAX。。




でも、どうせお前には出来ない。お前にはこの才能、能力はない。というスタンスで接していると、本当に彼女を侮辱しているようになってしまって、彼女の自信はますます無くなって、結果ますます出来なくなっていった。





これはヤバい!と思い、以前やっていた「トイレに行けたらシールを貼る」作戦を再始動すると、自分も「おートイレ行けたー!出来たねー!シール貼ろう♪」と前向きになって、きっと明日もトイレに行ける☆と、心に余裕が出てきた。



毎日シールを貼れるようになれば、いつかきっとおむつが取れるよ☆
それまで気長に待とう!
という気持ちに変わっていった。



それを察してか、娘も今日はオムツにしとくーとか、あ、う○ち出ちゃった。とか、言えるようになった。
(パンツにう○ちは今でもするけど、少し慣れたのもあり笑、嫌な顔で言わないように冷静になれるようになった)


きっと、この考え方って自分自身にも当てはまってて、



私はこういう才能が自分にはあるって思ってるけど、実はこっちもイケるんじゃ??
と思うと、なんだかワクワクしてきて、色々調べたくなる。



私にとって、このブログもその一つ。



私がウェブ上に何かを発信するなんて、しかも自己満足じゃなくて誰かの為に、なんて今までの私では考えられなかった。



常に自分のことしか考えてない、自己中人間で、子供なんか育てられない!と思ってた私が(今でも親からあんたが母親なんてね~~としみじみ言われる笑)、子どもというスパイスによってかなり成長させられたので笑。
(そして、こうして子育てについて発信している!!)



自分の中で、ここの才能は自分にはないなー、ということも努力次第で才能や能力になるかもと思うと、色んな幅が広がってワクワクしてきません?Д?


今はYouTubeなどで同じ分野でも色んな方のが見れるので、あ、この人ちょっといいかも、と気軽に調べてみると自分の能力を広げるチャンスが見つかるかもしれませんよ(*^^*)ノ☆




私も子どもをこういう人だと決めつけず、色んな才能を隠し持っている人なんだ!と思って接していこうと思っています!!



皆さん共に頑張りましょう!!

チコ星人という人

さー!
ブログ始めました!!
何か緊張する~~(>_<)笑



私は現在32歳
3才と0才(10ヶ月)の子育て中です。
私がなぜブログを始めたのか、、、







それは
一生絵を描き続けるためです!!








子供育てるって、本当に大変。
3才になるまですごい長かった……


そしてまだまだ、3才。。これからも長い長い子育て人生。。



少しでもいい環境で、良い影響を、と思い頑張っているつもりだけど、なかなかうまくいかないこともたくさんあります。


そして、私は小学生のころ位から絵を描くのが好きでした。





絵が好きなこと、それもずっと残していきたいし、絵を描くために生きてきたし、これからもそうでありたい。とかっこよく思ってはいるが、現実との狭間で悩んだり、葛藤したり……








とにかく右往左往している、こんな私が少しでも今のワタシを発信して、誰かの共感を得たり、息抜きになったり、発見になったりしたら嬉しいなぁと思い、始めました。








絵が好きな方、描き続けたいと思っている方、子育てに悩んでる方、何となくたどり着いた方、是非少しお時間頂けると嬉しいです!







そして、少しでも何か心に残ることがあればなと思います。






ということで、今回は私(チコ星人)がどんな人生を送ってきたのか、どんな人物なのかが少しでもわかるように、これまでの人生を綴ってみたいと思いまーす!☆











【めちゃくちゃ楽しかった高校時代!】


私は中学の美術の先生に教えてもらった
ど田舎から車(母親)→電車→チャリンコ使って、計1時間半かけて絵が学べるデザイン科のある高校へ通っていました。




電車で通学なんてめっちゃ憧れてたし、都会に出てきたような感じで、とっても楽しかった。



ただ校則がめちゃくちゃ厳しかったので、月1回の頭髪検査はまじ毎回吐きそうだったけど。。(´Д)`)ゲェー




けど、それ以外は本当に充実してて、朝一番に行って、教室の鍵を開け、夕方は遅くまで残って、写真の現像をしたり、油絵を描いたりして本当に人生で1番楽しい時期だったと思います。





今でも尊敬し、慕っている先生方との出会いがたくさんあったし、仲良い友達はこのときに出会った子達がほとんど。







卒業後の進路はバラバラ。
私は当時の担任の先生にすすめられて、田舎の教育学部で美術課のある大学へ進学しました。
(進学に関しては色々ありましたが、ここについてはまたいつかお話出来ればと思います!)




とにかく順風満帆だった高校時代から一変、全く楽しくない大学時代へ突入していくのです……。








【めちゃくちゃ楽しくなかった大学時代!!】


デザイン科の高校から、美術系大学へ無事入学したのですが、
とにかく、実家のど田舎から高校でせっかくちょっと都会に出てきたのに、また田舎生活に戻り、私はすでにもう不満だった。





入学式前、教授の作品の展覧会があっているというので何人かで見に行ってみました。(すでにこの時、オープンキャンパスなどで友達が出来たのよね。)

そして教授の絵をみて私は時衝撃を受けた。



これね、是非美大受ける人参考にしてほしいんだけど、




その教授の絵を見た瞬間!!



















「ヤバい!!私この人から教わること何もねーぞ!!!!!Σ(Д )」(←まじごめんなさい)


と。










いやいや、今思えば、



調べとけよ。どんな作風のどんな教授がいるのか、どの先生になにを教わりたいのか、調べて考えてから受験しろよ!!!


ってことなんですけどね…。





実際、その先生はめちゃ売れっ子の画家さんだし


完全に私の準備不足というか……。




そのときは、


「うわ~~もう引っ越しちゃったし、ギリギリの時期に受かって、母親も相当書類やら何やら、入学手続き大変やったし、金も払ってもろとるし、、やっちゃったな~~;;」


と、入学式前から絶望感いっぱいでした…。








そんな大学時代の始まりでしたが、バイト先での出会いや、自分の作品と向き合う時間、制作場所を与えてくれていることなど、学んだことや感謝することも多々あるんです。
しかし、感謝の気持ちに変わるにはかなり時間がかかりました。





もし就職していたら今どうなってたんだろう、とか考えたこともたくさんあったけど、きっと必要な時間だったんだと言い聞かせて(笑)、




とりあえずせっかく入学したんだから、教員免許だけは取って卒業しようかなと思い、(退学したい気持ちを押さえて)なんとか大学卒業するのです。







【就活なんかせぬわ!!とにかく海外へ行きたい!大学卒業後1ヶ月フランスへ】


そうして何やかんや卒業の時期になりましたと、。(早っ)





周りは公務員目指す人が多くて、公務員試験の勉強を大学3年生くらいから始めてるわけです。





その時はすでに就職なんかしたくない、かといって大学院に行きたくもない。






とにかく海外への憧れが強かったんで、
当時やってたmixiでみつけたパリでのアーティストレジデンスみたいなのを見つけ応募してみることに。


早速自分の作品集を送って、卒業式の5日後には日本を発っていました☆キラーン┐(´д`)┌




英語は中学までの知識しかない、フランス語なんてぼんじゅーるも知らんくらいでした。(パリ行きの飛行機の中で覚えようと思ったけど、本当にぼんじゅーるくらいしか頭に入らんかった)




まぁどーにかなるやろ~~と、とにかく楽しみで仕方なかった‼






アトリエに着いてみると同じようにmixiなどで集まった日本人が5、6人いて全然不自由なこと無かったし、オーナーは中国の中年女性やったけど、日本語喋れるし(笑)



全然怖いことなかった。(おかげでフランス語は全く上達しなかったけど、道端であった人は英語でイケた)
そしてめちゃくちゃ楽しい1ヶ月はすぐに過ぎてしまった。
(フランス滞在記も後日記事にしますね(*^^*))






本当に東京ついたらとんぼ返りしたろかと思うほど帰りたくなかったよ。。
(毎日パンばっかりで五キロくらい増えてた。)





なにがあんなに楽しかったんやろう、と今でもわからんが。





とにかく日本へ帰って来た私は、さすがにどっかで働かんといかんよな~と、就職先を探した。











【帰国後、全くうまくいかない社会人1年目。】


そして某無料の求職案内誌についてたのを、母親がすすめてきたもんで、とりあえず見学に行ってみることに。




(今思えば、結局自分の人生に責任持って無かったんだな~、本当に自分で決めたことは楽しかったし、人に流されて決めたことって本当にやる気もなく無駄な時間で終わってしまうんだなと、これを書きながら感じている…。)








初めて就職したのは、子ども向けの塾。
下は年少から上は小学6年生まで。








もともと、大学卒業するときに「これから作品成長させるためには、何かしら人間と関わっていかないかんな~」とぼんやり思ってたので、人間を感じる仕事がいいなぁとは思っていた。






しかーし、まさかこんな小さな子を相手にするとは!!






最初お試しで見学行った時、手を叩いて子供と一緒に歌っている講師の姿を見てもともと子どもが苦手な私は






「いやいやいやいやいやいや!!、 、こーれーは、こんな歌のおねぇさんみたいなこと、私には無理やわ~~!!!( ´ゝ`)はははは」

と思っていたら、









「あなた笑顔がいいわね~!!うちで働きなさい!」

というオーナーの一言で、就職決定~☆






そしてそこから、私の地獄の社会人1年目が始まるのでした…。









上で申した通り、もともと子どもが苦手な私は、全然接し方が分からず、話しかけ方も笑い方も、何もかも分からず


とにかく、子どもが可愛い!!という気持ちが全く無かった。そして仕事まじ苦痛。
ということに。(←当たり前やな)





やっぱ人に流されたらあかんね。自分の直感信じなあかんで。(←誰やねん)








閑静な住宅街でアパート1人暮らし、車も持ってない、金もないから行くとこない。
その頃は週末になると毎週のように母親に車で迎えに来てもらい、毎週実家に帰っていましたね。
働くってこんなに苦痛かと、その時は思ってました。





だんだんと顔はニキビだらけでボコボコになり、人と対面する仕事だから余計気になってストレス。(親には皮膚科行けとまで言われた)
それでまたニキビが増える。タバコも増える。

どうやって休もうかと考える日々に、まじ鬱になりかけてました。







その当時も絵は描いていましたが、どんな表現をしたらいいのか、何を描けばいいのか、仲間もいない、見せる場所も人もいない。




ということで、モチベーションも下がり、何のために描いてるのか、描く意味があるのか、なぜ描けないのか、だれの為に描いてるのか、と頭のなかかグルグルグルグルしていました。





仕事も私生活も、絵も何もかも中途半端で、もう無理だ!と一年弱でギブアップ。






幸い、大学で美術の教員免許を取っていたので、辞めて少ししたら教育委員会から連絡があり、地元の中学校で美術教員として働くことになりました。






その頃にはニキビもだいぶ治り、(めっちゃローン組んで、ものっそいエステに通ったけどね!!仕事辞めた反動か、だいぶ脂肪がつきましたが)普通に過ごせるようになっていました。







次の職場では本当に良い出会いもあり、「学校の先生ってこんなに生徒たちのことを想い、考えてるんだなぁ~!!」と感激する日々でした。
その時、初めて「人を想う」ということを感じた時であり、色んな家庭事情をもつ子供たちがいて、それぞれ考えていることが違っていて、美術部を持って、接した子供たちとは今でも年賀状をくれる子もいます。











【右往左往して、結婚、出産】


その後半年もせずに、自分が通っていた高校から連絡があり、惜しみつつも次のステージへとの思いから、自分の母校である学校のデザイン科の助手として就職しました。





しかし、まだまだ若かったあの頃。。


私はその頃作品をつくる、絵を描くことに何だかモヤモヤした気持ちというか、「私は画家なんだぞ!」という訳のわからないプライドのみで手を動かしていたような感じで(1枚も絵が売れたことなんか無いのに笑)
画家とはこうあるべき!というのが強かったんですね、。




その感情のまま、現状に自分に満足できなくなった私は
「人物が描けるようになるために、アメリカに行きたいので、辞めます!」と、3年で辞職。
今思うとすごいわがままなやつやなぁ~;






結局、その後アメリカには1週間程度行きましたが、色んな縁があり再びど田舎の学校で働くことになるのです…。




海外への憧れはありましたが、結局縁は無かったんでしょうね( ´_ゝ`)。











そうして、アメリカで人物描いた後は田舎に行きたい。
となり、これまたうまいこと学校で就職口があり今度は焼き物で全国、今や世界的に有名な場所へお引っ越しするのです。







ちなみにこの頃、今の旦那と付き合っていました。
ど田舎へ引っ越しするとき、すでに半同棲みたいになっていたので、彼は「じゃぁもう、無理やね、お別れやね」みたいな感じだったんで、
「いやいや、大丈夫!」

と言って、毎週末車で片道2時間かけて彼の家を往復していました。





当時、知り合いから立派なアトリエを月一万で借りさせて頂いていたのですが、(実は、このアトリエの話を頂いたから引っ越した)
なんとなく上手くいかず、馴染めず、彼との時間の方が大事になってきたんですね。









彼は私より26個年上。
子どもがいないなら結婚しなくていい。という考えだったので、子どもが大の苦手な私はどうしようか迷っていました。




このまま週末婚みたいな生活は何のためにもならない。結婚はしたい。でも私が子どもを育てるなんて想像もできない。





さぁて、どーしよーー。









まいっか。

で、結局妊娠、結婚を機に再び退職。
彼の家に転がり込むことになりました。










【子育てのせいにして、自分の時間がないと不満ばかりの新米ママ】


結婚したはいいものの、育児に関してわからないことばかり。





歩き始めた娘と何をして過ごそうか、毎日図書館に行き暇潰ししてました。






まともな会話も出来ない娘との毎日に、もーー無理!!!働かせてくれ!!!と、保育所に預け近くで事務仕事につくことにしました。







仕事、育児と実際時間無かったのかもしれないけど、絵を描くということが私からだんだん離れていきました。





知り合いから声をかけてもらって始めた、年一回の展示会も片手間のような感じで、他の作家さんとの交流も出来なかったのか、しなかったのか、一年で一つくらいしか作品ができない自分に自信喪失していました。










【今年の私は違うぞ!!脱皮する2021】


上の子が3才になり下の子が生まれ、なんだか少し肩の力が抜けたのか、2021年になり、だんだんとやる気が出てきました。





とりあえず、身近で小さい規模の展示を企画しよう!と、よく行く図書館の無料ギャラリーを借りて展示をする予約をしました。





それを決めた頃くらいから、ブログを使って画家活動をされてる方の存在を知り、色々と調べてみることにしました。




出来れば長い時間外で働きたくない。作らなくて良い人間関係や仕事の失敗なんかで落ち込んでモチベーション下げたくない。




そしてきっと子育てに悩んでいる人、絵描きを続けたいと思っているけど1人で不安な人、って私の他にもいるはず!






と思い、ブログを開設して発信してみることにしました。
1番は自分の日々のモヤモヤ発散とモチベーション維持のために始めたかもしれません笑;




が、もし記事を読んで少し心や肩の荷が軽くなったり、兆しが見えたりできた方がいたら、それこそ私自身の「一生絵描き」の支えになりますし、仲間が出来たようで嬉しいです!






そんなこんなで、右往左往している私が今まで学んだことや、日々の葛藤の様子など発信して、私を含め一生絵が描ける人が増えるように綴っていきたいと思いますので、

これからどうぞよろしくお願いします!☆(*^^*)